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楽曲分析と演奏解釈 〜「悲愴」「風紋」を例として〜
保科 洋 著
音楽と料理
音楽を聴くことは、例えていえば料理を味わうようなものでしょう。食べる人にとって料理は美味しいことが重要であって、そのために板前がどのような工夫・努力をしているかは知らなくても料理を楽しむにはさほど問題ではありません。同様に音楽を聴く人も、楽譜に何が書かれているかなど知らなくても、十分に音楽を楽しめますし感動もできます。ところで、腕の良い板前ほど材料の質や料理の腕前を講釈するようなハシタナイことはしないものですが、今日はあえてそのハシタナイことをしてしまいましょう。
私は作曲が専門ですが指揮も大好きです。ですから「楽譜」とはどのように作られ、どのように読みとるべきなのかという一例を、素材を提供する作曲家とそれを料理する指揮者という両方の体験からご披露いたしたいと思います。
西洋音楽、特にクラシック音楽では楽譜の存在が不可欠ですが、実は楽譜とは作曲者から演奏者への手紙であって聴衆への手紙ではないのです! 料理でいえばメニューと必要な素材を板前に提供することにあたりましょうか。したがって演奏者は先ず楽譜という手紙から作曲者の意図を読み取らなくてはなりません。この作業を「楽曲分析」といいます。料理でいえば与えられた素材の質・鮮度などを板前が吟味することにあたりましょうか。つまり、目の利いた板前であればそれらは一目瞭然で、板前によって評価が変わるということは殆どないでしょう。「楽曲分析」も同じです。手紙をありのままに読み取ることが「楽曲分析」なのですから、その判断に個人差が生じることは殆どないはずですし、仮に個人差が生じるものであるとすれば楽譜は手紙の用を成さなくなってしまうでしょう。
それに対して「演奏解釈」とは与えられた素材を生かしてどのように料理するかという創造的な行為です。料理人が変われば同じ素材でも異なった料理・味が造られるように、演奏解釈は指揮者によって微妙に変わるものです(ただし、優れた料理人は素材の特徴を壊してしまうような味付けまではしないものです)。
私は岡山大学のオーケストラを45年にわたって指導してきましたが、その間、一貫して上記の2項目を実践してきました。本日演奏する「保科アカデミー管弦楽団」の諸君は学生時代から本日まで身をもってこれらを体験し共感してくれている仲間です。岡山大学の学生諸君、そしてアカデミーの仲間がこれらを如何にして実践してくれているかという意味で、本日の演奏は私が考える音楽表現のまたとない実験場でありご披露の場といえましょう。
それでは私たちが本日のプログラムをどのように料理しようとしているのか、その厨房の一部をご披露することにしましょう。本日の演奏が皆様の舌にお気に召していただければ料理人としてこれほど嬉しいことはありません。
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